映画『π(パイ)』カルト映画として知られるダーレン・アロノフスキーのデビュー作

映画情報


π(パイ)
原題:Pi

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製作年:1997年(アメリカ) ジャンル:サスペンス/カルト/アート
上映時間:85分


<スタッフ>
監督/脚本:ダーレン・アロノフスキー
製作:エリック・ワトソン
製作総指揮:ランディ・サイモン
音楽:クリント・マンセル
撮影:マシュー・リバティーク
編集:オレン・サーチ


<受賞歴>
第14回インディペンデント・スピリット賞:新人脚本賞受賞


【π(パイ)】解説/あらすじ


後に『レクイエム・フォー・ドリーム』、『レスラー』、『ブラック・スワン』などを生み出すことになる、ダーレン・アロノフスキー監督の出世作。低予算映画ながらも斬新な映像表現によって、カルト的な人気を誇る。常人離れした知能指数を持った男が、数字に取り憑かれて苦悩する様子を描く。


社会への適応に苦労しながらも、常人離れした知能指数を誇る天才数学者のマックス・コーエン(ショーン・ガレット)は、自作のスーパー・コンピューターは用いて、日々、株式市場の予測を行っていた。そんなある日、“この世でおこっている全ての事象は数字で表現できる”と信じるマックスの前に、スーパー・コンピューターが216桁の数字を吐き出す。この数字を巡って、マックスは思いもよらない出来事に巻き込まれ、苦悩の日々を送ることになるのだった…。


【π(パイ)】映画感想/レビュー


ダーレン・アロノフスキー監督は、後の『レクイエム・フォー・ドリーム』でも極端に短いカットを用いた斬新な映像手法をとっていますが、デビュー作となるこの『π(パイ)』でも、6万ドルという思いっきり低予算の制作費を逆手にとって、同じく極端に短いカットのモンタージュを何千と繋ぐという斬新で目まぐるしい映像表現が駆使されています。


刺激的なインダストリアル的テクノ音楽(或いはアンビエント音楽)や、画質の荒いモノクロの映像は、デヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』であったり、日本のカルト映画である塚本晋也監督の『鉄男』に近いものがあります。ある意味ではアート作品でもありますね。


タイトルになっている『π(パイ)』とは、円周率の3.141592…を表す記号で、そのタイトルが示すように、主人公は数学に取り付かれた天才数学者マックス。
『天才マックスの世界』というウェス・アンダーソン監督のコメディ映画もありますが、それとは関係ありません。


π(パイ/円周率)がどうたらとか、216桁の数字がなんたらとか言われてもさっぱりわからないんですけどね。
この辺数学が得意な人とか好きな人からしてみたら、この映画をどう捉えるのか、少し気になるところですが、数学全然得意じゃなくても、雰囲気だけで個人的には面白いんですよね。


統合失調症みたいなマックスの心理描写は、テクニカルというかアバンギャルドな映像や音楽表現で凄く伝わってきます。この辺の気持ちの悪い心理は、まるでノルウェーのBurzum(バーズム)というヴァルグ・ヴァイカーネスがやってる一人ブラック・メタルアンビエントバンドの音楽を聴いている時のような感覚。
非常にマニアックな人物のマニアックなジャンルの音楽ですが、ヴァルグ・ヴァイカーネスという人は、マックスのような数学者ではないですけど、その何かに取り憑かれたような偏執的な思考自体には類似するところがあるのではないかと思う。
頭が痛いと言って、ギャーギャーわめき散らすマックスの声も、なんとなくBurzumでの狂気の叫びを彷彿とさせます。


また、ユダヤ教の過激派と思わしきカルト団体や、216桁の数字を使って株式市場を操ろうとするマフィアみたいな怪しい集団の他、旧約聖書、モーセ五書、螺旋、レオナルド・ダ・ヴィンチ、黄金比等のオカルティックなものが絡んでくる辺り、この映画をより難解複雑かつカオスなものにしています。
そしてよりにもよって、それらのものに対しての説明や答えは、劇中では掲示されません。


観客は完全に置いてけぼりを喰らいますよね。
だけど、この映画の解釈としては、なんだかよくわからない。でイイんじゃなかろうかと思います。
結局、偏執狂(パラノイア)の妄想。
劇中でソル博士(マーク・マーゴリス)が、マックスに同じようなことを言い放ちますが、大昔のローマの政治家であるジュリアス・シーザー(カエサル)の遺した名言にこんな言葉があります。


人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない。

マックスにとっては数字が全てだったけれど、それしか見えなくなるってのは非常に危険なことなんですね。妄信することは社会への適応さえも困難にさせる。
私は、おそらくマックスは最終的には216桁の数字の謎を解明してしまったのではないかと考えますが、そのことだけに人生を捧げてきたマックスにとっては、謎を解明することが目的であって、その答えを使ってどうのこうのという目的もなく、目的が果たされた後に残されたものは虚無でしかなかったんじゃないかなと思います。

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