映画『ノスタルジア』アンドレイ・タルコフスキー監督自身の投影

映画情報


ノスタルジア
(原題:Nostalghia

Nostalghia poster.jpg
製作年:1983年(イタリア/ソ連) ジャンル:ドラマ
上映時間:126分


<スタッフ>
監督:アンドレイ・タルコフスキー
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、トニーノ・グエッラ
製作:レンツォ・ロッセリーニ、マノロ・ポロニーニ
撮影:ジュセッペ・ランチ


<出演者>
オレグ・ヤンコフスキー、エルランド・ヨセフソン、ドミツィアナ・ジョルダーノ、デリア・ボッカルド、and more…


<受賞歴>
第36回カンヌ国際映画祭:監督賞、国際映画批評家連盟賞、全キリスト教会審査員賞受賞


【ノスタルジア】解説/あらすじ


『ストーカー』のアンドレイ・タルコフスキー監督がイ初めてイタリアで製作した、イタリアとソ連の合作映画。タルコフスキーはこの映画の完成後に映画製作や表現の自由を求めてソ連から亡命。その為、主人公の心情はタルコフスキー自身を投影した存在となっている。圧倒的映像表現で綴られる叙情詩。


ロシアの詩人であり作家のアンドレイ・ゴルチャコフ(オレーグ・ヤンコフスキー)は、通訳の女性エウジュニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)と共に、ロシアの作曲家パーヴェル・サスノフスキーの取材をするためにイタリアのトスカーナを訪れていた。しかし、持病の心臓病を患っていたアンドレイの余命も長くはなく、旅の終わりも近づいていた。エウジュニアが教会を訪れた夜、自分の故郷の夢を見て目覚めたアンドレイは、とある小さな温泉街で、世界の終末は近いと信じ込み、狂人扱いされていた男ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)に出合う。アンドレイはドメニコに関心を示したものの、エウジュニアはそんな2人に苛立ちを覚え、恋人の待つローマへと発っていった。一方ドメニコはアンドレイにベートーヴェンの第9を聴かせ、“蝋燭の火を消さずに温泉街の広場を渡りきることができたら世界は救済される”という願いを託し、アンドレイはこの願いを叶えることを約束するのだった。


『ノスタルジア』映画感想/レビュー


旧ソ連の巨匠アンドレイ・タルコフスキーによる、『ストーカー』以来4年ぶりとなる映画で、初めてイタリアで撮った作品。
この『ノスタルジア』に限ったことでもないけれど、相変わらずのタルコフスキー節。
圧倒的な映像表現。犬や水などのメタファー。長いカット。難解な台詞回し。哲学的で内包的なメッセージ性。
つまり、圧倒的な睡眠作用を持った映画です。(ほめ言葉)


お陰で何回も観れます。夜な夜な布団に潜り込んで、ボーっと観るくらいの感覚でも十分な映画なんだと思う。映画の内容自体いたってクソ真面目だし、本当は凄く集中して観ないといけないんだろうけど。


言葉を変えたら正直退屈な映画なんだけれど、それでも私はこの映画もタルコフスキーの傑作の一本だと言いたい。
本当は映画館で観れるのが一番なんだろうけれど、まずその映画館で観るべき映像が、圧倒的に美しすぎる。
今回は登場人物の通訳女性エウジュニアを演じたドミツィアナ・ジョルダーノという女優さんも物凄く綺麗。
この女優さん、他の映画では1994年の『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』などに出ているみたいですね。(あまり覚えていないけど)あとはゴダールの『ヌーヴェルヴァーグ』なんかにも出演しています。
まるで人形みたいなお顔の女優さんです。何故かハイヒール履いてクラウチング・スタートするシーンがあったりします。


ドミツィアナ・ジョルダーノさんもですが、やはり風景や細部に拘ったセット、水や火、或いは灯火といったような自然や自然光が、本当に物凄い美しさ。
なんでこんなに美しい映画を撮ることができるのか?逆になんで他の多くの映画作家達は、美しい画を撮ることができないのか?才能の違いなのかなんなのかはよくわかりませんが、この独特の美しさはタルコフスキーの映画でしか味わえないもので、それだけでもこの人の映画は一見の価値があります。


余命幾許もないアンドレイの旅は、『ノスタルジア』を撮った後に旧ソ連から亡命したタルコフスキーの投影でしょう。
アンドレイと同じく、タルコフスキーも故郷に帰ることなくフランスで肺がんによって命を落としています。


この映画における『ノスタルジア』の意味は、故郷を単に懐かしみ思うというよりは、故郷を離れたことの寂しさや悲しさ、そして、郷愛からくる懐郷病とも呼ばれる病。
実存主義の先駆者として知られるデンマークの哲学者セーレン・キュルケゴールが、『死に至る病』という哲学書の名著を出していますが、この本に記される“死に至る病とは絶望”、“絶望とは罪である”ということが、タルコフスキー的には、ノスタルジア=死に至る病ということのようです。


『ノスタルジア』ではベートーヴェンの第九の、シラーによる『歓喜の歌』の有名なフレーズが印象的に使われるのですが、この歓喜の歌は、人類みな兄弟。友を持つことはいかに幸せなことか。みたいな意味のことが歌われているのですが、『ノスタルジア』における第九の歓喜の歌は、非常に音質が悪くノイジーに再生され、最悪途中でテープが捩れたかの如く音楽が止まります。
壁面に書かれた1+1=1という意味深な数式からも、余命短くして友を、或いは家族や恋人を持つことの無意味さ、更には、狂人扱いされた男のメッセージを誰も聞いていないという虚しさが物凄く伝わってきます。
孤独もまた絶望。ということなのかなと思います。


しかし、映画はそんな絶望で締めくくられるのではなく、約束通り蝋燭の火を消さずに広場を渡りきった後に息絶えたアンドレイが、夢に見た子供時代を過ごした故郷で、犬と一緒に佇んでいるシーンの長回しで終わります。
これはおそらく死後の世界なのでしょうが、やはり、タルコフスキーが一貫して描いてきた救済ということであり、タルコフスキー自身が最も幸せだったという子供だった頃を描いているのでしょう。


兎にも角にも美しい映画です。TSUTAYA発掘良品の一本になってますので、今なら簡単にレンタルもできるはず。

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