映画『ペイルライダー』イーストウッド扮するプリーチャー(牧師)は死の天使

映画情報


ペイルライダー
(原題:Pale Rider

Pale Rider poster.jpg
製作年:1985年(アメリカ) ジャンル:西部劇
上映時間:116分


<スタッフ>
監督/製作:クリント・イーストウッド
脚本:マイケル・バトラー、デニス・シュラック
音楽:レニー・ニーハウス
撮影:ブルース・サーティス
編集:ジョエル・コックス


<出演者>
クリント・イーストウッド、マイケル・モリアーティ、キャリー・スノッドグレス、シドニー・ペニー、クリストファー・ペン、リチャード・ダイサート、ジョン・ラッセル、and more…


【ペイルライダー】解説/あらすじ


往年の西部劇の名作『シェーン』と、クリント・イーストウッド自身による監督作品『荒野のストレンジャー』の融合だとか焼き直しだとかリメイクだとか言われるイーストウッド監督12作品目にあたる西部劇。製作と主演も兼任。撮影はイーストウッド主演作品の常連であるブルース・サーティス。


1880年頃。ゴールドラッシュ時代のアメリカ・カリフォルニア州。カーボン渓谷を牛耳り町を興した鉱山会社の社長コイ・ラフッド(リチャード・ダイサート)は、同じカーボンにある小さな村をも治めようとしていた。それに反発していた村のリーダー格ハル(マイケル・モリアーティ)が町へ買出しにでたところ、ラフッド一味によって嫌がらせを受ける。そんな所に蒼ざめた馬にに跨った謎の男(クリント・イースウッド)が現れ、ラフッド一味を一掃。恩返しにと、ハルは謎の男を婚約者のサラ(キャリー・スノッドグレス)とその娘のミーガン(シドニー・ペニー)とで一緒に住む自宅に招き入れるのだが、謎の男の背中にある6つの銃痕を見たサラとミーガンは不信感を露にするが、首元にカラーをつけて牧師(プリーチャー)に扮した男を見て安堵し、快く食事を振舞う。一方でラフッドたちは突如現れた牧師を追い出そうとするのだったが…。


【ペイルライダー】映画感想/レビュー


舞台が鉱山町で、主人公は名無しの謎の男。愛犬を殺されたミーガンの祈りによって、『死』を象徴する‘蒼ざめた馬’に乗った背中に六芒星を象ったような銃痕を持つ男が現れ巨悪を撃つ。


クリント・イーストウッド監督/主演の『荒野のストレンジャー』の主人公である名無しの男の正体が、保安官に殺された亡霊だったということもあって、『ペイルライダー』は『荒野のストレンジャー』のリメイクだとか、『シェーン』と同じような描写もあってその二つを融合させた作品だと言われています。
実際その通りなのかなとも思ったりしますが、『ペイルライダー』はこれはこれで素晴らしい映画です。


まず、広大な自然を映し出すイーストウッド映画の常連であったブルース・サーティスの撮影が非常に美しい。
この人『ダーティハリー』で映画館の大きなスクリーンで観るべき非常にカッコイイシーンの数々を撮っていますし、イーストウッドを最もかっこよく撮れる人なんじゃないかなと思いますね。
勿論『ペイルライダー』におけるイーストウッドも無茶苦茶かっこいい!


『荒野のストレンジャー』の名無しと同じで、イーストウッド扮する牧師(プリーチャー)は謎に満ちた人物となっていますが、『荒野のストレンジャー』の名無しが人々との接触を殆どもたなかったのに対して、本作では一緒になって金塊を採掘すべく大ハンマーを持って岩を砕いたり、共に食卓を囲んだり、人間味があるというか明らかにコミュニケーションをとる人物として描かれています。


因みに『ペイルライダー』とは聖書に出てくるヨハネの黙示録の四騎士に登場する4人目の騎士で、死を象徴する蒼白い馬に乗って黄泉(ハデス)を従え、地上の人間を死に至らしめる役割を持っています。
このことに関しては、劇中でミーガンの台詞によって説明されていますが、要するに死神ですね。


ただ、一神教であるキリスト教においては死神というものは存在しませんので、イーストウッド扮するプリーチャー(牧師さん)は、所謂死の天使で、ミーガンが神様に“神様お願いです。一度だけ助けて下さい”とお願いしたことをきっかけに、神様がその願いを叶えるべく、天使を送り込んだんですね。


死の天使というと、第二次世界大戦時のナチス・ドイツの医師にしてSS将校の人体実験などを行ったヨーゼフ・メンゲレですが、勿論この狂人がモデルになっているわけではありません。反対に背中に六芒星(ダビデの星/ユダヤの星)を背負った男として描かれています。


このようなことなどから、『荒野のストレンジャー』とは似て非なるもので、イーストウッドは人々を地獄に送る悪魔ではなくて、人々を救う天使であり、牧師という言葉には羊飼いという意味がありますが、自らを羊飼いと言ったキリストと同じく、人々を導く神様の使いなのでございます。


キリスト教でなくとも、宗教的なことに馴染みのない日本人にはよくわかんないかもしれないし、私もその辺よくわからないんですけど、多分そんな感じなんだろうと思う。
宗教観抜きにしても十分に面白い映画なのですけれど、宗教観を抜いてしまうと、逆に突っ込みどころもいっぱいあったりする映画なので、(例えばイーストウッドが消えたり現れたり)そのような解釈でいこうと思いました。


イーストウッドはこの後『許されざる者』を撮って以来、西部劇は撮っていないので、また撮ってほしいなとか思いますね。

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