映画『BOY A』アンドリュー・ガーフィールド主演の社会派ヒューマンドラマ

映画情報


BOY A
BOY A ポスター.jpg
製作:2007年(イギリス) ジャンル:ドラマ 上映時間:107分
監督:ジョン・クローリー
原作:ジョナサン・トリゲル
脚本:マーク・オロウ
音楽:パディ・カニーン
出演者:アンドリュー・ガーフィールド、ピーター・ミュラン、ケイティ・ライオンズ、ショーン・エヴァンス、and more…


ジョナサン・トリゲルの同名小説を『ダブリン上等!』のジョン・クローリーが監督した社会派ヒューマンドラマ。未成年期に殺人の罪で10年間服役していた青年の、出所後の姿を描く。主演は『大いなる陰謀』のアンドリュー・ガーフィールド。共演に『マイ・ネーム・イズ・ジョー』、『マグダレンの祈り』のピーター・ミュランなど。


イギリスのマンチェスター。14歳の時に少女を殺害した罪で服役していた青年(アンドリュー・ガーフィルド)は、10年の刑期を終えて出所。かつて‘少年A’と呼ばれた青年は、‘ジャック’という名前を得て、社会生活に戸惑いながらもケースワーカーのテリー(ピーター・ミュラン)の助けを借りながら新しい生活を始めていた。勤め先の運送会社では、クリス(ショーン・エヴァンス)という友達もでき、ミシェル(ケイティ・ライオンズ)という初めての恋人もできるのだったが…。


【BOY A】映画感想/レビュー


未成年期にとある犯罪を犯して服役していた青年の過去の苦悩と再生、また、周りにそういう人が居たとき、人はどのような態度で接するのか?ということを、優しくも厳しい眼差しで描いたイギリスの社会派ヒューマンドラマ。
BOY A ジャックとテリー.jpg
主役の24歳の元服役囚ジャックを演じたのは、ロバート・レッドフォードの『大いなる陰謀』で映画デビューを果たし、『ソーシャル・ネットワーク』の演技で好評を得て、後の『アメイジング・スパイダーマン』シリーズでも主演を務めることになる期待の若手俳優アンドリュー・ガーフィールド。
ャックを後見人として実の息子のように支えるテリーを演じたのは、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞しているピーター・ミュラン。


‘BOY A’とは、日本で言うところの、未成年が犯罪を犯した時などに報道陣等によってよく使われる‘少年A’という意味ですね。罪を犯した未成年のプライバシーや人権保護のためでもありますが、あまりイイ響きではない。
ましてやパパラッチモンスター、略してパパラッター大国のイギリス。報道による人権侵害と、それが与える社会への影響力や国民の関心は非常に大きなものがあり、それ故に元服役囚の心に与える影響力もまた大きいのです。
BOY A ジャック.jpg


出所して、ケースワーカーのテリーの助けを借りながら、‘少年A’からジャックとして生まれ変わり、仕事も真面目にこなして親友も恋人も出来た彼の“本当のことを言いたいけれど、言ったらみんな離れて行ってしまいそうで怖い”という心の葛藤、苦悩も凄くわかる。
いや、実際ジャックの立場に立ったことはないので、簡単に「わかる」とか言うこともできないのだけれど、随所で挿し込まれる過去のフラッシュバックや、ジャックのどこか怯えたような挙動、テリーのジャックに対する助言や心配などからも、イギリスという国で素性を明らかにすることが、どれほど危険なことなのかということを汲み取りやすいように、あくまで『映画としての文法』を用いながらしっかり描かれている優れた映画です。


イギリスに限った話ではなく、ジャックのように過去に‘悪魔の子’というような表現をされ、未成年犯罪で服役し、今は釈放されて生きている人間は日本にも居ます。
神戸での事件とか、未だに人の頭に忌まわしい衝撃的なニュースとして残っていて、決してあの事件を擁護するようなことがあってはならないと思いますが、あの事件の犯人の彼も、過去がどうであれ、現在は違う自分として生きている、或いは生きようとしているのかもしれない。
だからと言って、過去に凄惨な事件を起こした人間の素性が明らかになったとき、私達は簡単に許すことができたり、素性が明らかになる前の接し方と同じように誠意を持って接することができるのか?ということを大きなテーマとして問題提起していますが、きっとその答えは、そういう状況になってみないとわからないし、簡単に答えを出していいようなことでもないのでしょう。


自分がもしもジャックじゃないにしてもテリーの息子の立場だったとして、久々に父親にあったにも関わらず、テリーが仕事とは言え、自分より他人を優先させていると感じたとき、テリーの息子と同じようなことをしないとは誰も言い切れないとも思う。
‘そんなことはしない’、‘そんなのは最低の行為だ’と思う気持ちがわからないでもないですが、テリーの息子にだって悩みはあるし、どれだけバカ息子だったとしても、親に愛されたいという気持ちはあるし、きっとテリーの息子と、少年時代のジャックの状況は似た環境だったんじゃないかなとも思います。
というか、そこには考える余地が与えられているけど、確実にそう感じさせる描写は映画の中でも描かれています。


そんなテリーの息子の嫉妬心や、マスコミの私利私欲、世間の率直すぎるまでの薄情さとも言うべき偽善心は、ジャックを地獄に叩き落し、終着駅行きの片道切符を握らせる。
満身創痍で足を引きずりながらたどり着いた終着駅でジャックの見たものは、ジャックが助けた少女が彼を天使だと思ったように、彼もまた天使を見たのでしょうか?
天使だったのか悪魔だったのか?そんなことはジャックにしかわからないことだし、ジャックが最終的に選んだ決断が正しいのか正しくないのか、なんてことはジャック本人にもわからない。
兎に角最後に大きな問題を提起し、観た後に凄まじいまでの余韻を残す。


犯罪者のその後、またそういう人に出会ったとき、自分はどのように接すればいいのであろうか?ということを考えさせられる映画です。
犯罪、特に殺人や性犯罪など許されたものではありませんし、そんな犯罪を犯した人間は、いくら刑期を終えて釈放されて出てこようが、その罪を一生背負って生きていかなければならないものだとも思います。
ただ、そんな人間を擁護し免罪しろとは言わないまでも、端から断罪してしまうのも罪なことなのかもしれない。
だけれど、最終的に答えは出ない。何故なら、何が善で何が悪であるとか、そんなことは決まりきったことではないし、絶対的な答えというものが存在しないものだから。

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