映画『L.A.ギャング ストーリー』アンタッチャブルをなぞっただけのノワールになりきらない駄作

映画情報


L.A.ギャング ストーリー
(原題:Gangster Squad

L.A.ギャングストーリー ポスター.jpg
製作:2012年(アメリカ) ジャンル:クライム/アクション 上映時間:113分
監督:ルーベン・フライシャー
原作:ポール・リーバーマン 脚本:ウィル・ビール
音楽:スティーブ・ジャブロンスキー
出演者:ジョシュ・ブローリン、ライアン・ゴズリング、ショーン・ペン、エマ・ストーン、ニック・ノルティ、アンソニー・マッキー、ジョヴァンニ・リビシ、マイケル・ペーニャ、ロバート・パトリック、and more…


【L.A.ギャング スター】解説/あらすじ


1940年代から50年代にL.A.に実在したギャングと、ロス市警の男たちによる戦いの実話を、『ゾンビランド』のルーベン・フライシャー監督で映画化したバイオレンス・クライム・アクション。主演は『トゥルー・グリット』のジョシュ・ブローリン、共演に『ドライヴ』のライアン・ゴズリング、『ツリー・オブ・ライフ』のショーン・ペン、『アメイジング・スパイダーマン』のエマ・ストーンなど。


1949年。巨大闇組織のボスであるミッキー・コーエン(ショーン・ペン)が不正と暴力でロサンゼルスを支配し、コーエンの力は政界や警察内部にまで影響を及ぼし街は腐敗していた。そんな中、このアンタッチャブルな存在を見過ごせなくなくなったロス市警のジョン・オマラ(ジョシュ・ブローリン)に、市警本部長のビル・パーカー(ニック・ノルティ)から極秘の指令が下る。それは、公に取り締まれないコーエンの組織を、非合法的な手段を用いて壊滅させよというもの。何の後ろ盾もないこの危険な任務を了承したオマラは、ジェリー・ウーターズ(ライアン・ゴズリング)等と6人の少数精鋭部隊‘ギャングスター・スクワッド’を結成し、バッジを置いてコーエンに挑むのだった。


【L.A.ギャング ストーリー】映画感想/レビュー


1940年代から11950年代に実在し、L.A.で暗躍していた大物ギャング、ミッキー・コーエンというアンタッチャブルな存在と、バッジを置いたロス市警の6人の男たちの戦いを描いた物語『L.A.ギャング ストーリー』。
これだけを聞くなり見るなりすると、まるでブライアン・デ・パルマの『アンタッチャブル』みたいな映画なのかな?『L.A.コンフィデンシャル』のようなネオ・ノワールなのかな?と期待します。
L.A.ギャングストーリー ギャングスター・スクワッド.jpg


監督が『ゾンビランド』、『ピザボーイ 史上最凶のご注文』のルーベン・フライシャーなのですが、正直『L.A.ギャング ストーリー』は、監督の特徴が悪い方に出ちゃったかなと思います。
というのも、こういうシリアスなテーマを描くにしてはキャッチーすぎるし、ノワールにしては、スタイリッシュなのはいいけれど明るすぎる。


【フィルム・ノワールとは】


フィルム・ノワールとは、主に1940年代から1950年代ににかけて製作された、及びその時代を舞台にした話的にも映像的にも暗い陰鬱としたイメージの犯罪映画で、特徴としてはファム・ファタール(悪女/運命的な女)と呼ばれる女性が登場し、警察や探偵、マフィアなどが登場人物として出てきて、影やコントラストを意識したドイツの表現主義的な映像に、退廃的、閉鎖的、破滅的な世界観が描かれています。
基本的には、1940年代~1950年代に製作された白黒の上記した特徴を持つ映画。例えば代表的な例としてハンフリー・ボガード主演のハードボイルド映画(『マルタの鷹』『三つ数えろ』)などがフィルム・ノワールというジャンルに分類されますが、その時代に製作されたモノクロ映画に限らず、『チャイナタウン』や『L.A.コンフィデンシャル』なども、姿形を変えて進化したフィルム・ノワールと捉えていいと思います。(所謂ネオ・ノワール)
『L.A.ギャング ストーリー』にはライアン・ゴズリングが出演していますが、ライアン・ゴズリング主演の最近の映画『ドライヴ』なんかも、寡黙でハードボイルドな主人公に、退廃的で破滅的な描写は、ネオ・ノワールと言ってもいいのではないかと思います。


【『L.A.ギャング ストーリー』はノワールじゃない】


これは思いっきり主観なのですが、『L.A.ギャング ストーリー』は、舞台設定も登場人物も思いっきりノワール的なのですが、全然ノワールじゃないと思います。
何故なのか?基本的に夜の撮影で暗いはずなのに、何故か明るい。逆に『ドライヴ』は明るい所で撮ってることも多いのにどこか暗い。『ドライヴ』にはキャリー・マリガンが出てて、彼女は悪女ではないけれど、運命的な女という意味では、確実にライアン・ゴズリングの運命を変えるファム・ファタールだったわけだけれど、『L.A.ギャング ストーリー』に出てくるエマ・ストーン演じるグレイスはファム・ファタールとは言えないと思う。
L.A.ギャング ストーリー ショーン・ペン エマ・ストーン.jpg


グレイスはショーン・ペン演じるミッキー・コーエンの女役として出てきて、ライアン・ゴズリング演じるパーカーと恋愛関係になって、結果的にグレイスがコーエンを裏切ったということになるんだろうけれど、グレイスは基本的には傍観していただけ、ただそこにいただけという感じで、別にコーエンを破滅に追い込んだという感じでもないし、パーカーを駄目にしたという雰囲気でもない。
非常に綺麗で魅力的な役柄で、エマ・ストーン自体演技も素晴らしい女優さんだと思うけど、致命的に描き方が薄いと思う。非常に勿体無い使い方してるように見えました。


ルーベン・フライシャーの『ゾンビランド』もですが、わりとバイオレンスな残虐描写が出てきます。ただ、この監督の特徴は、そのバイオレンスをコメディとして扱ったから面白かったけれど、笑えるという意味での面白いをノワールの舞台に持ってくると凄い違和感がある。
やってることは凄い残酷で痛々しかったりするんだけれど、その描写のどれもこれもが荒唐無稽で、ぱっと見ショッキングでインパクトがあるだけで、内的に残酷だとか破滅的だとかいうわけじゃなくて、全然シリアスじゃない。


致命的なのは、ロス市警側がアンチ・ヒーローじゃなくてヒーローとして描かれてしまっていること。ジョシュ・ブローリン演じるジョン・オマラのキャラクター自体はよかったんです。寡黙なハードボイルドで、コーエンを倒すために色々犠牲にして危険も手段も厭わず挑んでいく。
だけれど、最後のコーエンとの決闘で、拳銃捨ててステゴロ対決しだした辺りから色々おかしい。これは冒頭でコーエンがサンドバックでトレーニングしている元ボクサーという設定の伏線回収なのかもしれないけれど、コーエン対オマラの対決の前に、コーエンは自身が今は現役のボクサーじゃないと言って他の登場人物を簡単に射殺しているので、そんな正統派な対決している場合ではないし、そもそも最初から綺麗な任務でもなければバッジも置いてきてるんだから『ダーティハリー』のハリー・キャラハン、或いは『フレンチコネクション』のジミー・“ポパイ”・ドイルのように、汚かろうが拳銃で決着つければいいと思った。それまで躊躇いもなく行ってきた数々の無双行動は一体なんだったのか。


綺麗に拳で決着つけて、ロス市警よくやりました。オマラは警察のバッジ投げ捨てて、家族と幸せに暮らしました。みたいな終わり方で、何の深みもない。ふざけてんのかと思った。
ロス市警の腐敗なり、コーエンがユダヤ系ならユダヤ系で、語れるドラマ性は沢山あるはずなのに、どこを触るにしても上辺ばかり。
兎に角何もかもが浅い映画。出演人が演技派揃いで非常に豪華なのに残念すぎる。
お涙頂戴とか家族との葛藤とかいらんから、いっそのことドラマ性皆無のコメディなりアクションなりホラーなりで完全娯楽映画として撮ってればよかったのに。
個人的にが豪華俳優無駄遣いの退廃的でも悲劇的でもないノワールになりきらない駄作です。

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