映画『許されざる者』イーストウッドが恩師に捧げる最後の西部劇

映画情報


許されざる者
(原題:Unforgiven

許されざる者 ポスター.jpg
製作:1992年(アメリカ) ジャンル:西部駅/ドラマ 上映時間:131分
監督:クリント・イーストウッド
脚本:デイヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
出演者:クリント・イーストウッド、モーガン・フリーマン、ジーン・ハックマン、リチャード・ハリス、ジェームズ・ウールヴェット、and more…
第65回アカデミー賞:作品賞、監督賞、助演男優賞(ジーン・ハックマン)、編集賞受賞


【許されざる者】解説/あらすじ


『ルーキー』のクリント・イーストウッドが監督16作品目にしてようやくアカデミー賞監督賞と作品賞を受賞した、彼の敬愛するセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げられた最後の西部劇。主演はイーストウッド自身が務め、共演にはモーガン・フリーマン、リチャード・ハリス他、『ミシシッピ・バーニング』のジーン・ハックマンはアカデミー賞助演男優賞を受賞。


かつては伝説のアウトローと恐れられていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)も荒野から足を洗い、妻に先立たれながらも農夫として2人の子供と共に慎ましく暮らしていた。そんな彼の元に、スコフィールド・キッド(ジェームズ・ウールヴェット)と名乗る若いガンマンが訪れ、賞金稼ぎの話を持ちかける。とある町でならず者が娼婦のに傷を負わせて1000ドルの賞金首にかけられていたのだ。子供達の将来のために金が必要だったマニーはこの話を引き受け、かつての相棒だったネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)に話を持ちかけ、3人で賞金首を追うことに。一方で町では、賞金首の話を聞きつけ、武装していたイングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)という男を保安官のビルが袋たたきにした挙句に追い返していた。マニーたちもまた、賞金首を狙って町にたどり着くのだったが…。


【許されざる者】映画感想/レビュー


イーストウッドの映画の師である『荒野の用心棒』や『続・夕陽のガンマン』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』などで有名な、マカロニ・ウエスタンの父とも呼ばれるセルジオ・レオーネと、『ダーティハリー』や『アルカトラズからの脱出』など、イーストウッド自身が出演している映画の監督としても知られるドン・シーゲルに捧げられたこの映画は、そのセルジオ・レオーネと、ドン・シーゲルの映画を観たことがある人なら、エンドクレジットで鳥肌ものであります。
勿論エンドクレジットだけではなく、映画自体も非常に魅力的で、西部劇が時代遅れなどとは微塵も感じさせない仕上がりとなっていて、イーストウッドにとっては、監督16作目にして作品賞と監督賞でようやくオスカーを受賞し、天国のドン・シーゲルとセルジオ・レオーネにとっても、そしてイーストウッドファンにとっても、素晴らしいプレゼントになったんじゃなかろうかと思います。


この映画の脚本は、イーストウッドが映画化の権利を手に入れる前は、『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』などで知られる巨匠、フランシス・フォード・コッポラが持っていたらしいのですが、脚本がイーストウッドの手に渡ってからも、イーストウッドはこの映画の主人公であるマニーと同じ年齢になるまで、10年間も脚本を眠らせていたらしいです。それくらい、拘った映画なんですね。
個人的には、コッポラも凄い監督だと思うし、その映画も好きなのですが、結果的には西部劇を心から愛するイーストウッドの手によって製作され、素晴らしい映画になってよかったなと思います。
また、イーストウッド本人は、当時「出演と製作の兼任はこれが最後」と語っていたらしいですが、その後も出演と監督(製作)の兼任を続け、様々な名作を世に送り出しています。


映画の方は、‘これぞ本当の西部劇!’といえる映画になっています。
西部劇とは、日本で言う時代劇に相当し、アメリカにおける西部開拓時代を背景に描かれた映画や小説のことですが、アメリカという国は、そもそも移民で成り立っているような国であり、そこから迫害された先住民が、ネイティブ・アメリカン(インディアン)であって、最初から白人や黒人などの色々な人種の人間が住んでいたわけではなく、あくまで元々はインディアンの土地であるという本来あるべきデリケートな問題も、この映画の中ではしっかり(間接的にではあるけど)描かれていて、そういった意味で、本当の西部劇であり、最後の西部劇なんじゃないかなと思います。


様々な場面で薄っぺらい西部劇に対する皮肉めいた描写が出てきますが、リチャード・ハリス演じるイングリッシュ・ボブという賞金稼ぎを、彼に付き纏う腰ぎんちゃくみたいな作家が、イングリッシュ・ボブの虚実で彼を英雄に仕立てあげるという嘘だらけの小説を書き、それをジーン・ハックマン演じる保安官が嘘だと暴く構図などは、嘘だらけのハリウッドの西部劇に対しての皮肉がかなり篭められていて、またイーストウッドの西部劇に対する愛を感じます。
そしてこの時のサスペンスフルな緊張感が素晴らしいですし、ジーン・ハックマンの演技は見事!
しかしその見事な演技の保安官も、酷い目にあった娼婦達の訴えを無視したり、無抵抗の人間に殴る蹴るの暴行を加えたり、黒人であるネッド(モーガン・フリーマン)を鞭で打って酒場の入り口に放置するなど、保安官とは名ばかりの、本物のヒーローには遠く及ばない存在であり、この映画の中に置いては悪です。
そして、保安官を含めその取り巻きこそが、アメリカ(ハリウッド)の現実であると暴いているのです。


イーストウッド演じるマニーは、先立たれた妻クローディアのお陰で真人間になれたという元々は悪名高い人物ですが、子供の将来の為にということで、名誉のためではなく、単純に賞金目当てで旅に出ます。
最愛の妻のお陰で真人間になれた男にしては、切り替え早いなという声も聞こえてきそうですが、あくまで子供のためという大義がありますので、その辺はあくまで映画なのでってことにしておきまして、このイーストウッド扮するマニーが、相棒のネッドがやられたことで、まさに鬼神と化す様が、目茶苦茶カッコイイです。
鬼神と化したマニーは、まさに昔の悪名高かったその男であり、アメリカン・アウトローとはこの鬼のためにあるような言葉じゃなかろうかと思うほどに冷酷で恐ろしいです。
ヒーローというより、アンチヒーローですね。
最後はやはり期待を裏切らない男です。(『グラン・トリノ』で、そのアンチヒーロー像に終止符を打ったことを考えると、また感慨深いものがあります。)


そしてマニーは姿を消すことになるわけですが、結局この映画に、ヒーローなどと言うものは存在していません。
誰一人殺めていないのは、それこそ登場する女性達と、ネッドくらいのものす。だからこそこれが、本物のデリケートな部分に触れている西部劇なのです。誰が正義で誰が悪なのか?とかを決めつけてしまうのではなく、結局みんな、罪を背負う『許されざる者』なのです。


西部劇は古臭くなんかなく、映画によっては素晴らしいものです。
イーストウッドがこの映画以前に演じてきた役柄を裏切らないキャラになっていて、途轍もなくカッコイイのは勿論のことながら、他の役者さん(特にジーン・ハックマン)も素晴らしいです。
そして、ドン・シーゲルとセルジオ・レオーネの映画が観たくなります。
アメリカという国はなんぞや?という疑問のヒントにもなる映画だと思います。

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