映画『エル・トポ』アレハンドロ・ホドロフスキーのカルトムービー

映画情報


エル・トポ
(原題:El Topo)

製作:1970年(メキシコ) ジャンル:カルト/西部劇/アート 上映時間:123分
監督/脚本/音楽:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演者:アレハンドロ・ホドロフスキー、ブロンティス・ホドロフスキー、and more…


【エル・トポ】解説/あらすじ


公開当時、ミニシアター系の映画館で深夜上映だったのにも関わらず、口コミで広がって今ではカルト映画の代表作となっている、メキシコの異才アレハンドル・ホドロフスキー監督による異色の西部劇。


息子のブロンティス(ブロンティス・ホドロフスキー)を連れて旅をしていた、黒ずくめのガンマンエル・トポ(アレハンドロ・ホドロフスキー)は、村を襲った大佐一味を退治すると、息子を置いて大佐の女と旅に出てしまう。女に最強のガンマンになって欲しいと頼まれたエル・トポは、東洋哲学者や自然主義者など、4人の砂漠のガンマンを次々に倒していくのだったが…。


【エル・トポ】映画感想/レビュー


伝説的なカルトムービーとして名高い、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エル・トポ』。
フェデリコ・フェリーニの映画からヒントを得たというこの映画は、女性を連れて悲哀に満ちた旅をし、自己探求するという意味では、フェリーニの『』っぽくもあるけれど、どちらかというとフェリーニでも中期以降の作品、アート映画としての志向が高まってからの作品に近いという感じ。
とは言え、その内容は流石はカルトムービーと言うべきか、カルト映画で然るべきと言うべきか、ジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』、デヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』と同じように、前衛的というより、もはやイカレた内容の作りとなっていて、非常に背徳的かつ血なまぐさい。かと思えば、いきなり神秘主義的であったり、哲学、形而上学的であったり、社会批判的内容であったりにシフトチェンジする。『田園に死す』や『書を捨てよ町へ出よう』などのカルト映画を撮った寺山修司が絶賛したのも頷ける。


アレハンドロ・ホドロフスキー監督自身が演じる荒野のガンマン『エル・トポ』は、大佐と呼ばれる男と決闘して勝利するのだが、連れて歩いていた我が子(ホドロフスキー本人の息子)を置き去りにして、大佐の女と二人で旅に出てしまう。
そして、女に言われるがままに、砂漠の四天王とでも言うべきガンマン(賢者)達と戦って最強を目指すのだが、その決闘の仕方が非常に卑怯であり、人間味の欠片もないようなやり方を使って次から次へと勝利を収めて行く。
エル・トポ自身の利己的な行動もさることながら、劇中で流れる美しい音楽とは対照的に、フリークスにうさぎの無残な姿、裏切りに嫉妬、フロイトのモチーフにユングのシンボル。映画で言えばルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』のような印象的なシュールレアリズムの垂れ流し。
四天王の最後の一人である、拳銃の代わりに虫取り網を使うというもはやガンマンですらない聖人が、「私を倒したところで何も獲るものはない」と言い放ち、エル・トポの銃を奪って自ら命を絶ったところで、背徳的な描写から一変する。


女ガンマンに蜂の巣にされる姿は、聖書に出てくるキリストが鞭で打たれ、磔刑に処される姿そのものであり、ここで瀕死の状態になって20年後にフリークス達の住む穴蔵の岩の上で、髪の色が黒からブロンドになって目覚めるという描写はキリストの死と再生を意味する。


しかし、よく考えてみると、キリストは元々ユダヤ人のはずであり、髪の毛は黒色で金髪ではないはずだから、金髪の姿で目覚めたエル・トポは、アメリカによって都合よく解釈されたキリスト教の姿であり、ここから先に前半と打って変わって描かれる映画の姿自体が、アメリカ社会に対する批判とも解釈できる。
現に、エル・トポが20年ぶりに見た地上の世界には、一ドル札に描かれているピラミッドに万物を見渡す目という陰謀論で有名なフリーメイソン(イルミナティ)のシンボルがそこら中に散らばっていて、地上の住民の姿はまさに異教の姿を示し、奴隷制度が描かれ、更には醜く肥えて太ったセレブ(資本主義者)達を相手に商売をする姿が描かれている。
エル・トポとはモグラという意味があるらしいが、その言葉の意味するとおり、エル・トポとフリークスの女は、地上に出る為のトンネルを掘っている。
しかし、いざトンネルを掘り終えてフリークス達が大挙して地上に出た瞬間、町の人々は引き金を引く。
悟りを開いたかのように思えたエル・トポは、息子と再会するのだが、怒りとも虚無感ともつかない感情を露にして、町の住人達を次々に制圧し、挙句の果てには砂漠で最後の聖者が見せたように、自らに火をかけ、アメリカ社会に対して抗議し痛烈に批判する。


と、後付的に説明するのは簡単だけれど、初見ではアレハンドロ・ホドロフスキーが描こうとしている世界感はまず理解不能。
二回目を観てもなんとなくそんな感じなのかな?とか思いながら観ることしかできず、100%ホドロフスキーの描いたことを理解して説明することはまず不可能です。そもそも、カルトムービーってそういうものだし、寧ろ理解できてしまったらそこで終わってしまう。キューブリックが『2001年宇宙の旅』公開間近になって、ナレーションカットして形而上学的に敢えて考えられるようにしたのと同じ。
奇妙で気持ち悪くてぶっ飛んでいてわけがわからないけど、何処かで惹かれるところがある。だからこそのカルトムービー。そして『エル・トポ』はその金字塔的作品である。

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